源頼朝の墓は、鎌倉市西御門の小高い丘の上にあります。
この丘の上一帯は「法華堂」の跡地として知られており、53歳で没した頼朝は、法華堂に葬られたと言われています。
現在は、石塔が1つ残るのみですが、巨木に囲まれてひっそりと立つ石塔には、しみじみとした趣があります。
頼朝の墓は、鶴岡八幡宮から歩いて5分。
この辺りはむかし、鎌倉幕府があったと言われています。
近くの清泉小学校には、幕府跡を示す石碑があります。
ちなみに、その敷地はどこまでかというと、東西は、清泉小学校の敷地から横浜国大付属小・中学校の敷地との境界まで。
南北は、金沢街道から頼朝の墓の前にある道路までです。
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こちらが墓の入口です。
石階段を登っていきます。
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これが現在残っている石塔です。
残念ながら、法華堂が創建された当初からあるものではありません。
江戸時代に造られました。
苔むした石塔と、それを取り囲むようにして立つ巨木。
悠久の時の流れを感じます。
ここにはむかし「法華堂」という仏堂がありました。
源頼朝は生前、この法華堂を持仏寺として厚く信仰していたそうです。
53歳で没した頼朝は、法華堂に葬られました。その後法華堂は、頼朝の墓として、のちの時代の武士からも尊ばれたそうです。
しかしその後、明治のはじめの神仏分離令によって、法華堂は取り壊されてしまいました。
神仏分離令で法華堂が取り壊されると、その代わりとして「白旗神社」が建てられました。
「頼朝の墓」の入口脇にあるこの神社は、源頼朝を祭神としています。
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この丘から石階段の方を見下ろすと、ちょうど目の前が、鎌倉幕府のあった場所とされている辺りになります。