テオドシウスの城壁の歴史と見どころ!イスタンブールの頑強な防御壁。

テオドシウスの城壁


テオドシウスの城壁とは、ビザンツ帝国の首都であったコンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)を守るために建てられた、巨大な石造りの城壁のことです。
二つの壁と、その外側に広がるお堀で構成された、三重構造の堅固な造り。
しかも、その延長は、6.6キロメートルにも及びます。

イスタンブールを陸攻めから防御

トルコのイスタンブールの旧市街は、海に突き出した半島のような形状をしており、陸伝いに攻め込まれるとしたら西側からだけです。
テオドシウスの城壁は、この西側からの攻撃を防ぐ目的で建造されました。

下の地図は、テオドシウスの城壁とイスタンブール旧市街のざっくりとした位置を表しています。

オレンジ色が城壁、薄いピンク色が旧市街です。
南北に延びた城壁が、街の西側を綺麗に包んでいます。

千年にわたって難攻不落

この城壁は5世紀に造られて以降、15世紀にオスマン帝国に突破されるまで、およそ千年もの間、敵の侵入を防いできました。
オスマン帝国も城壁を完全に破壊できたわけではなく、結局は、鍵をかけ忘れた門から街への侵入に成功したと言われています。

鉄壁の守りを誇る頑強な城塞。
この記事では、テオドシウスの城壁を写真とともにご紹介します。


テオドシウスの城壁の歴史

テオドシウスの城壁の歴史

「テオドシウスの城壁」という名前は、この城壁がビザンツ帝国の皇帝・テオドシウス二世の時代に建てられたことに由来します。
完成したのは、西暦447年です。

ただし、最初から現在の姿だったわけではなく、工事は大きく分けて二回行われました。

最初の工事

最初に造られた城壁は、壁が一つだけの一重構造だったと言われています。
西暦413年に完成しました。

2回目の工事

しかし、この城壁が、その後の地震で大きく損傷。
しかもちょうどその頃、コンスタンティノープルは遊牧騎馬民族のフン族の脅威にさらされていましたから、修復工事は急ピッチで進められました。

この工事がすごいのは、たったの60日間で修復を完了させたことです。
しかも、それまではなかった二つめの壁と、それを囲むお堀まで造ってしまいました。

こうして出来た頑強な城壁が、その後のコンスタンティノープルの繁栄を陰で支えることになります。

テオドシウスの城塞の構造

テオドシウスの城塞は、2つの壁とその外側のお堀で構成されています。

テオドシウスの城壁の構造

左側がお堀とそれを支える低い壁。
中央が外壁。
そして、右側が内壁となっています。

現在ではお堀部分は埋め立てられており、当時の姿を見ることはできませんが、お堀の幅は20メートルを超えていたそうです。

外壁は、厚さが2メートル、高さは8.5〜9メートル。
内壁に至っては、厚さが4.5〜6メートル、高さは12メートルととても巨大なものです。

また、内壁には物見塔が併設されていることもあり、その場合はさらにその高さがアップします。


テオドシウスの城壁のみどころ

テオドシウスの城壁は、千六百年の歴史を持つ長大な建造物。
場所によって修復度合いが異なります。

比較的よく修復されていると言われているのが、トプカプ門と、エディルネ門です。

ただし、テオドシウスの城壁の周辺は、あまり治安が良くないという話しも聞きます。
当サイトが昼間に訪れたときは全く危険を感じませんでしたが、慎重に行動するに超したことはありません。

トプカプ門

テオドシウスの城壁のトプカプ門

トプカプ門(Topkapi)は、ビザンツ帝国の時代はロマヌス門、ローマ人の門と呼ばれていました。

オスマン帝国がコンスタンティノープルに侵攻したとき、この場所で激しい戦闘が行われたそうです。
オスマン帝国側は、この門の周囲に何発もの大砲を打ち込みました。

トプカプとは、トルコ語で「大砲の門」という意味。
コンスタンティノープル攻めの経緯を踏まえて、オスマン帝国以降、この門はトプカプと呼ばれています。

テオドシウスの城壁のトプカプ門

上の写真は、トプカプ門の内側から撮影したものです。

テオドシウスの城壁のトプカプ門の銅像
門を守るのは衛兵を模した2体の銅像。
凜々しい姿が印象的です。

テオドシウスの城壁のトプカプ門

こちらは、トプカプ門の外側からの遠景です。
綺麗に修復された城壁が広範囲に続いていて、見応えがあります。

トプカプ門への行き方は、下のGoogleマップをご覧ください。

Googleマップ


エディルネ門

テオドシウスの城壁のエディルネ門

オスマン帝国によるコンスタンティノープル侵攻の際、オスマン帝国の一部の兵士が、エディルネ門(Edirnekapi)の近くから城壁内への侵入に成功したと言われています。
ビザンツ帝国側の鍵のかけ忘れが原因とも言われていますが、内通者がいた可能性も捨てきれません。

いずれにしろ、突破口が開かれオスマン帝国が勝利します。
オスマン帝国の皇帝・メフメト2世は、エディルネ門を通ってコンスタンティノープルに足を踏み入れたそうです。

テオドシウスの城壁のエディルネ門
エディルネ門は、修復が進められているものの、トプカプ門よりも老朽化が目立ちます。
門の柱が崩れそうになっていて、鉄製の補強材で突っ張り棒のように支えています。

テオドシウスの城壁のエディルネ門

また、城壁の隙間を縫って木や雑草が生えています。
テオドシウスの城壁は、総延長がとても長いので、メンテナンスするのもなかなか大変そうです。

テオドシウスの城壁のエディルネ門の近く
こちらは、エディルネ門の近くの城壁です。
城壁の手前が付近の住民のための駐車場になっています。

遺跡と生活が違和感なく共存しているところに、歴史の街イスタンブールの懐の深さを感じます。

Googleマップ



以上、テオドシウスの城壁についてお伝えしました。

テオドシウスの城壁は、イスタンブールの長い歴史を象徴するかのような建造物です。
ビザンティンという千年帝国と、それを打ち破ったオスマン帝国。

そうした時代の流れに思いを馳せながらこの場所を観光すると、面白さが格段にアップします。

ところで当サイトでは、現地トルコでの経験をもとに、トルコの観光スポットやトルコ料理について、別記事で詳しく解説しています。
次の記事もあわせてご覧ください。

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